政宗の姿がない。
それは勝利に酔う砦を、一転させた。
酒宴の後朝、政宗の姿がないことに気がついた伊達の者達は、血相を変えて主君を探し、警護の者や草の者達を呼びつける。
常に大胆不敵な伊達軍きっての猛将も、青褪めた表情で従兄の姿を捜し求める。
あわただしく組織された捜索の兵たちが、砦近くの森で、ひそかに政宗につけていた護衛の忍達の喉をさかれた躯を発見するにいたり、更に事態は差し迫ったものとなる。
救いといえば、その中に政宗の姿がなかったことか。
側近の一人にすぐに城への使いを命じる。勿論、他への口外を禁じる。
おそらく、連れ去られたのだろう。
ならば、すぐに殺されることはないと楽観視はできないが。
それでも生きていれば助けることが出来る。
政宗のために出来ることがあるのだ。
そうでなければ。
「小十郎にぶっ殺されるな。」
でも、その前に。
俺が俺をぶっ殺す。
馬上で暴れるだけ暴れ、その後は意識を失ったらしい。
目を覚ました時には、粗末な砦の一室に寝かされていた。
見知らぬ天井と、揺れぬ大地に、霞がかかった意識が晴れ、同時に忘れていた痛みが戻ってくる。
刃を交えた際に開いた右腕の刀傷よりも、殴られた鳩尾の方が痛かった。
「SHIT・・・」
腕の痛みに視線を落とせば、縛られていた手首に縄のあとがくっきりと残っていた。
頭が痛く、身体は他人のもののように重かった。
最悪の状態で、それでも唯一つ、逃げ出さなければならぬという思いがすべてを動かす。
薄闇が迫る室内に、他には誰もいない。
牢などではなく、寝かされていたのは座敷。
先ほどまでいた、伊達の国境砦とどこか似通った雰囲気に、ここもまた同様の役割で存在するのだろうと推測する。
どの国のものかはわからないが、奥州以外、さらに言えば伊達家以外はすべて敵であるのが現状だという片倉の言葉を思いかえせば何処でも同じことだ。
あの若武者。
赤い、武士。
源次郎、ではなく、別の名前、真田、といったか。
あの男がいない今ならば、逃げられるかもしれない。
馬で一日の距離。
おそらくは山道で、夜闇の中を探るように奥州に戻ることになるだろうが。
それでもここにいれば、更に奥州より遠方へと連れて行かれる。
奴らの目的などは知らないし、知る必要もない。
考えるまでもなく、狙いは奥州一国だろう。
今は、自分が独眼龍政宗なのだ。
この首、獲られるわけにはいかない。
「殺されてたまるか。」
こんなところで死にたくない。
あの、戦場でも生き延びたのは強烈なその渇望だ。
ゆっくりと、敷布から身体を起こす。
よろめく身体を立たせ、そっと周囲の気配を探った。
「佐助。」
呼べば一拍の呼吸を置いて現われた忍びは、茶に染めた髪を元に戻し、戦装束も草葉色のそれに変えていた。
その姿こそが、真田忍隊長、猿飛佐助である。
「やはり、佐助はそうでないと落ち着かぬな。」
「まあ、こっちの方が見慣れているでしょうからね。」
幸村の言葉に満更でもなさそうに、泥化粧をほどこした頬を掻き、へらりと笑った。
主従とはいえ、その範疇を逸脱した兄弟にも似た信頼関係のようなものが二人の間にはある。
互いが得がたい存在であるということを二人は知っているのだ。
「ところで、旦那。独眼龍ですけど。」
「ああ。」
「甲斐まで連れて行くんですよね?」
「ああ。」
幸村の言葉に迷いはない。
だが、彼を連れ行き、どうしようというのか。
それが佐助にはわからない。
奥州を揺るがすことが目的ならば、懐柔するよりも殺すほうが早い。
首が目的ならばこれは幸村の本分ではなく、ただ佐助にそう命じればよかったはずだ。
戦いたいならば、いずれは相見える存在。
それに戦場でないところで刀を交えたところで幸村は満足するまい。
「ねぇ、旦那。」
「佐助・・・・・その、おかしいのはわかっておるのだ。」
困ったような顔で兄のようにも思う忍を見つめる幸村は、とても戦場の紅蓮の鬼と同じ人間とは思えぬ頼りなさがある。
幾多の武功があるとはいえ、いまだ十七、十八の若者だ。
それを思えば仕方がないことだろうし、佐助も主のこうした側面が嫌いではない。
「独眼龍殿を、殺したくない。」
「うん、それは前にもきいた。」
その願いのために佐助は幸村が竜を生け捕るのを助けたのだ。
彼の望むままに。
「でもね、もし甲斐まで連れて行き、独眼龍が武田に従わぬと言えば、殺さなきゃいけなくなる。」
武田のために。
真田のために。
そして、佐助は伊達政宗が甲斐の虎に帰順することはないと考える。
まだ若く、天下を狙う器量さえ持つ北の竜。
相手がかの武田信玄といえど、たやすく膝を屈するような真似をするとは思えなかった。
伊達の家臣団の傾倒ぶりを目の当たりにすれば、嫌でもそう思わざるをえない。
天下を狙うならば、今のうちに殺しておいたほうがいい相手だ。
武田のためにも、幸村のためにも。
「・・・・・・・・・だが殺したくないのだ。」
年齢が、自分とさほどかわらぬという北の竜。
戦場での勇猛果敢な武者ぶりと隻眼から、ついた仇名は独眼龍。
その名を聞いた時から常に意識をしていた相手であり、いつか刃を交えてみたいと思っていた。
だからこそ北を探れと言う信玄の命を受けた時、腹心である佐助を行かせた。
彼の耳目でならば独眼龍の器量を推し量ることができようと。
そして思いがけなく、奥州城下の茶店で出会った若者がその人だとは思いもせず。
知らないままに好意を寄せた。
だが、彼こそが、独眼龍だというのであれば。
これは運命という必然だと。
「あのね、旦那・・・・・・・・!」
「佐助?」
「煙の匂いがする。」
「む。・・確かに・・火事か?」
何かが燃える際の独特の、異臭。
砦の奥の方から漂うそれに、瞬時に二人の顔色が変わる。
「政宗殿・・・。」
彼が、寝ている座敷。
馬上で暴れ、その最中に発熱したため、急遽立ち寄った武田の国境砦の一つが此処だ。
砦の者達には、彼の身上を明かしてはいない。ただ彼のまとう雰囲気から、只の農民や野武士ではないことは察しているだろう。
手当てをして、深い眠りにある彼を連れて行くわけにもいかず、一夜を借りることにしたのだ。
同時に地を蹴り、煙の匂いの源となる場所へ向かう。
近づくにつれ、ざわめきもまた大きくなる。
いち早く、火に気づいた砦の兵たちがあわただしく水を運び、消火にあたっている。
「真田殿!!」
「まさ・・・客人は!!」
「それが、火の回りが速く・・・」
「!!」
火の包まれた座敷に駆け込もうとする幸村を佐助がとめた。
「落ち着いて、旦那。」
「佐助、何を」
「いいから、こっちに・・・・」
腕を掴み、むりやりその場から引き離すように幸村を引きずる。いつになく強い佐助に、幸村は不満ながらも従う。
「佐助!」
「独眼龍は、ここにはいない。」
「真か!?」
「ああ。・・・・・・・・・で、ここにいないとしたら、何処にいるか。」
「・・・・・・・・・・・・・・まさか、この火は。」
彼の人がここにいないのであれば、つまりは。
確認するように佐助を見つめると、佐助は無言で幸村の考えを肯定する。
「油断した。・・・・・・・・・・まだ、遠くにはいっていないよ、旦那。」
「追うぞ。」
決然と言い放つ幸村の瞳には猟犬さながらの鋭い光が宿る。手にした朱色の槍は座敷を包む炎よりも燃える紅蓮に包まれた。
薄闇に包まれた獣道を手探りでさ迷う。
明かりがささないそこを、目を凝らしながら進む。
時折、頭上を羽ばたく鳥の羽音に立ち止まり、辺りを覗う。
追手だけではない。
息を殺し獲物を狙う獣も潜んでいるのだ。
「奥州はこっちであってるのかよ・・・。」
砦の見張り兵の目を誤魔化すために、政宗が放った火は瞬く間に燃え広がった。
予想外に火が回るのが早く、騒ぎになった隙に砦を抜け出し、森の中に駆け込んだ。
ただそこから離れることばかりに気をとられ、どちらが奥州なのかわからぬままに駆け出した。
鬱蒼としげる木々にせきたてられるように、地面に降り積もる落葉に足をとられそうになりながらも分け入って行く。
かなり歩いたのではと、振り返るがまだ立ち上る煙からまだ大して離れていないことを知り、焦りが募る。
考える以上に身体は重く、見知らぬ山道を歩くのは困難だった。
風になる葉触れの音にさえ不安が募る。
「・・・・・・・・・・・・・・まずいな。」
このままでは、追いつかれる。
「何が、でござるか?」
「!!!・・・・・・・・・・・早かったじゃねーか。」
ぎくりと、肩が強張るが、自分の中の恐れを悟られるわけにはいかない。
虚勢だろうと何だろうと、気圧されるわけにはいかないのだ。
ゆっくりと振り返る先には予想通り、槍を無造作に手にした若武者の姿があった。
夜闇にあっても、狙えといわんばかりの赤と白の戦装束を纏ったままだ。
「油断いたしました。そのお体で、あのような真似をされるとは。」
「HA!大人しく寝ているとでも思ったのかよ。」
じりじりと、交代する。
まだこの距離があるならば、隙を見て茂みの中に飛び込めば撒けるかもしれない。
悔しいが、今の自分ではこの男に傷一つ負わせることはできないだろう。
「確かに。」
頷き、苦笑を浮かべたようだ。
この暗がりでは、相手の些細な表情の変化を判じることは出来ないが、空気でそれは伝わった。
ひどく不快であったが、それよりも、政宗はこの静けさが気になった。
静か過ぎるのだ、目の前の男が。
冷静と言い換えてもいいのかもしれない。
対峙したのは数回だが、こいつは静かな男などではない。
それなのに、これは何だというのか。
自分はこの男のおそらくは敵将で、捕虜のようなものだった。
それに砦に火を放たれ逃げられれば、普通の人間であれば怒り狂うだろう。
幸村が、無造作に一歩踏み出した。
がさりと、枯葉を踏みしめる音。
政宗は後ろに跳び下がり、そして。
動けなくなった。
動きを、封じられたのだ。
肩と腕を背後の何者かに取られ、振り向くこともままならない。
強くはない力で、それでも抑えられた体はもがく事さえ出来ず、近づいてくる幸村をただ睨みつけるしかなかった。
「政宗殿。」
「離せ。」
無駄とは思いながらも、そう言うことしか出来なかった。
「何故、とは聞きません。だが、俺は貴方を殺したくはない。」
「HA、あんたバカだろう。どっちにしろ、結果はかわらねー。」
敵であれば殺す。
それが大将首であれば尚のこと、野放しには出来ないだろう。
ここで殺されなくても、結末はわかりきっている。
口先でそういった所でこの男が敵であることに変わりはない。
「政宗殿!」
「うるさい!」
「・!く・・・・!!」
暴れる足が、偶然幸村の脛を蹴り上げ、引き結んだ唇から呻きがもれた。
だが、ついで、夜を切り裂くような悲鳴をあげたのは。
「うあああああああああああ!!!!!!!」
「政宗殿!!」
腕が、折れた。
いや、折られたのだ。
背後で、自分の動きを封じる何者かに。
はばかることなく、悲鳴をあげた。
痛みに生理的な涙が零れ、背を汗が伝いおちる。
痛みと、恐怖。
混濁し、薄れる意識の中で、鳥の羽音を聞いた気がした。
「佐助。やり過ぎではないか。」
怒りさえ孕んだ、責めるような主の言葉に、忍は恐れるふうもなく、ただ肩をすくめて見せた。
「そうはいうけどね、旦那。手負いの、更には熱のある病人の身でこの人はこれだけのことをしたんだよ。これでも、加減している方だよ。」
足を折ってもよかったけど、それだと移動に大変だしね。
ひょうひょうとした態度を崩すことなく、そう告げる忍に、幸村は苦い表情を浮かべた。
「わかっている。」
そんなことは、十分わかっているのだ。
これは明らかに自分の過失だ。
政宗に言った言葉は一つも偽りではない。
油断した。
相手は独眼龍だというのに。
「殺したく、ないんだろ。」
「ああ。」
「なら、その人がこれ以上無茶をしないようにしないと。」
「ああ。」
わかっていると頷き、幸村は気を失った政宗を抱えあげた。
彼を殺したくないと、その願いをかなえるために忍は彼の腕を折った。
佐助が、そうしなければ、自分がそうしたかもしれない。
彼が逃げたと知った時から胸の内に燻り続ける凶暴な火があった。
「政宗殿。」
逃げないでください。
どうか。
羽ばたきと共に、肩に舞い降りた烏を撫でながら、佐助は幸村の背を見送った。
これ以上、抵抗させるわけには行かなかった。
彼が暴れれば、それだけ、佐助は彼を殺さなければならなくなるのだ。
幸村のために。
「仕方ないよね。」
へらりと笑顔を常の浮かべて、そっと聞くもののいない闇に呟いた。
俺だってあの人を殺したくないよ
一言。
私は一体誰に謝ればいいのか・・・・・・・・。
とりあえずすみません。
でもしょうがないよね、あは。
嘘です、すみません。
とりあえず骨折は、ちゃんと王紋にもあった。
勿論全然シチュは違いましたが。
言い訳です、もちろん。
これは黒ではないはずだと自分に言い聞かせています。