天井裏に身をひそめ、下の城主の寝室を覗くと、静かに眠る独眼龍の寝顔が真下にあった。
 現在の雇い主とでもいえばいいのか。護るべき相手であり、探るべき相手でもある。
 

 若き奥州筆頭、伊達政宗。
 

 十代の若者でありながら、小国が点在し、争いあっていた奥州の地を確実に掌握しつつある彼の名は、近隣諸国にも広まりつつある。
 猿飛の主君である幸村が興味を持つにはそれで十分だろう。
 若干17歳にして甲斐武田の一番槍とよばれる真田幸村こそが猿飛佐助の主君である。甲斐の虎、武田信玄に亡き父の後を継ぎ、主家に仕える彼の手足となりあるいは耳目となり働くのが真田忍隊であり、猿飛はその長を務める。
 甲斐は山に囲まれた土地とはいえ、近隣を上杉や北条、織田といった敵国に囲まれており、常に警戒を怠ることはできない。 それに加え、北に新たな雄の出現の気配を感じ、猿飛自らが、こうして潜入したのだ。
 そして、あらゆる手段を用い、入り込んだ城の中。
 ここまで上手くいくとは思わなかったと言うのが本音だ。
 件の独眼龍は今、目の前にある。
 そう、いつでも手を伸ばし、その命を奪うほどが出来るほど間近に。
 主君の命令さえあれば、今すぐにもその首に懐に忍ばせた刃をつきたて掻き切るだろう。



 だが、今はその時ではない。



 これから奥州をどうするか、主君達が張り巡らせる思惑に独眼龍は駒としてある。
 小国に分裂している奥州をまとめさせ、その後攻め込むかあるいは恭順させるか。
 それとも吸収された国の国主たちを裏から操り、攻めさせるか。
 どうなるかは、上の者達が考えることだ。
 それに、命令がくだってもいないのに、殺すことはない。
 ただでさえ、人が死ぬばかりの乱世だ。
 
 可能な限り人は死なない方がいい。















「・・・・・・・・・・・何やってるの?殿様。」
「AH?」
 振り返りざま、隻眼が鋭く睨みつけてくる。
 
 ガラ悪い。
 
 だが、慣れてしまえばそれまでで、忍―――――猿飛は恐れる風もなく、常の軽薄な笑みをうかべ、台所の釜戸の前に立つ若い城主に近づいた。
「夕餉をつくってるに決まってるだろ。」
 ぶっきらぼうに告げられた言葉に目を丸くする。
 一国の主が、自ら台所に立つなど猿飛の常識にはない。
 自分の仕えている本来の主もかなり色々と常識から外れているが、この殿様も随分と変わり者だ。
 背後から手元を覗くと、なれた手つきで里芋を煮付けている。
「何で、って聞いてもいいですか?」
「別に、料理は好きだしな、今日は手も空いたし。」
 そういえば伊達の若様は多芸多趣味だと言う話をきいたことがある。
 茶道、書道は言うに及ばず、舞、華道、香道までも一級の文化人だという話だ。
 料理まで嗜んでいると言うのは驚きだが。
「それに、毒見だのなんだのとうるせーからな・・・・。」
 苛立たしげに呟く独眼龍に猿飛はへらりと眉をハの字にする。
「・・・・・・・・仕方、ないよ。」
 いつ毒殺されてもおかしくはないのだから。
 権謀術数を張り巡らし、互いの隙を覗いながら領土を増やそうと画策する群雄たちの時代だ。
 奥州筆頭ともなれば、敵の数など片手では足らないだろう。
 口に入るもの用心するなど当然のことだ。
 肩をすくめて、当たり前という顔をする忍に政宗は不機嫌そうに眉をしかめ、玉杓子を渡す。
 それを受け取ってから不思議そうな顔をする忍に顎をしゃくると、得心がいったという顔で、玉杓子の中の芋を口にする。
 鼻を近づけて慎重に匂いをかぎ、ゆっくりと口に含む忍の横顔は真剣で、政宗にはそれが不思議だった。
「どうだ?」
「・・・・・・・・・ん、まあ大丈夫だとね。毒は、入ってないよ。」
「当たり前だ、誰が毒見しろなんていった。」
 乱暴に猿飛の手から杓子を奪い返し、返す手で顔面、しかも鼻の頭に杓子の底をめりこませる。ひどい。
「痛いんですけど・・・・。」
 控えめな抗議を無視されるのは何度目だろうか。
「ていうか毒見じゃなかったら、何をしろと?」
「味見に決まってるだろ。」
 察しが悪いな、と心の底から呆れたように言われ、猿飛は軽く凹んだ。
 バカだの甘いだの軽薄だの真面目にやれだのと、悪口は散々言われてきたが、察しが悪いと言われたのは初めてだ。 
 察しが悪いなど、忍びとしての己の存在意義に関わる。
 政宗は隣の男の煩悶には気づかず、漆器に次々と料理を盛り付けていく。
「おい、猿、てめえ、いつまでぼさっとしてんだ、とっととそれ持ってついて来い。」
 脛を蹴り上げられ、思わず痛みにうめく。
 本当にガラ悪い。 
 口も悪いがすぐに手が出る足が出る。
「はいはい、これ?」
「ああ。そっちの三つは成実たちの分。」
「・・・・・・・・二つあるけど。」
「俺とお前の分に決まってるだろうが。」
「へ・・・・・・?」
「落とすなよ。」
 台所で働く侍女に膳を片倉たちへ運ぶように命じて居室に戻る政宗の後を、膳を抱えた猿飛はついていく。
 なんだかな、と思うのは仕方がないだろう。
 親愛の情とか、そういう確かなものではなく、もちろん信頼でもないだろう。
 だが、何かがそこあるのだ。
 あやふやで、苦しくない関係とでもいうのか。
 自分は忍びで、しかも雇われたばかりの流れ者、のはずだ。
 それなのに。
「本当にかわった殿様だよ。」
 呆れたような、嘲るような笑みをその唇に一瞬だけ浮かべ、忍は仮初めの主君に従った。

















 静かな夜だった。
それでも忍びの耳には、数多の生き物の息遣いや奏でる音が届く。
 そして、夜にのって降り立つ翼あるものの訪れも。


「・・・・・・・・佐助からの連絡か?」
 夜闇の中、唯一の光源である燭台の灯火が微かに揺らいだ。
道場で禅を組んでいた幸村は、目を開くことすらせず、問いかけた。
 彼の背後に降り立った忍は静かに頭をたれた。
「はい。」
 短い肯定の言葉に、幸村はすっと目を開き、立ち上がる。
 目を開き、動き出すと彼の印象は大きく変わる。
 静から動へ、鮮やかな変貌。
 生き生きとした動作は見ているだけで、清清しい。
 道場を後にし、庭に出た彼の腕に、木々の間から一羽の梟が舞い降りる。
 鋭い鍵爪を持つが聡そうなその鳥は佐助の他に幸村以外には懐かない。
その脚に括りつけられた筒を外して中から紙片を取り出す。
 庭に置かれた篝火の明かりで字を追い、そして破顔する。
「幸村様?」
「うむ。佐助は成功したようだ。」
 奥州に潜入せよと、命じたのは確かに自分だが、かの忍は伊達政宗の傍近くまで潜り込んだという。
「さすがは真田忍隊の長!」
 満面の笑顔を浮かべ、夜空を仰ぐ。
 生憎の曇り空だが、時折零れ落ちる三日月の光もまた美しかった。
 それに目を細めながら、手にした紙片はそのまま篝火にくべた。
 瞬く間に火が燃えうつり、灰となって消える。
「奥州か・・・・独眼龍殿とはどのような方であろうか。」
 強く、舞うように戦うと聞く。
 あるいは悪鬼のようにおそろしく、残忍だとも。
どれも人伝手の埒もない話だ。
だが。
主君たる信玄が、戦評定で彼の名を出してから、幸村はいつか目の前にたつかもしれないその奥州の若き竜に興味を覚えた。
年齢が近いと言うこともあるのだろう。
 再び雲間に隠れた三日月を目で追っていた幸村は、彼の独眼龍が兜に三日月の前たてをかがけているという話を思い出した。

「某も奥州へ行ってみようか・・・・。」
 
 実際に会い見えてみたいものだ、と。
 呟く主君を、膝まづいていた忍びが、おやめください、と焦った様に意見する。
 冗談だと笑う主を、忍は信用することは出来ない。
 真田幸村という男は、冗談を口にしない。
 良くも悪くも愚直なまでに一途で真っ直ぐな男だ。
 だが、冗談としか思えないことを本気で口にし、それを実行してしまうのだ。
 そしてその度に振り回されるのは真田忍隊である。
 常日ごろから苦労の耐えない長を思い、忍は内心で溜息をついた。
























「あれ、なんか悪寒が。」
「風邪かよ、生姜湯でも飲んで寝とけ。うつすなよ。」
 気を使ってるのか、バカにしてるのかまったくわからない。
 多分両方だろう。
「風邪じゃないですよ、俺、自慢じゃないけどここ十数年病にかかったことないよ。」
「十分、自慢になるぜ。そいつは。」
 ふう、とうまそうに紫煙を吐き出す。
 政宗はどこか気だるげに柱にもたれかかり、煙管を弄んでいる。
 猿飛がいることなど気にした様子もなく寛いでいる。
 いいのかな。この人。
 悪い癖だと思わないでもないが。
「殿様、そんなに寛いでいていいの?」
「WHAT?」

「あのね、例えば俺が他国に雇われた暗殺者だったら・・・」
 すっと手を伸ばし、首筋に触れる。
 どこか軽薄な笑みを浮かべていた顔から、一切の表情が消える。
 能面の方が、まだしも表情がそこに存在するだろう。

「昨日の夜のうちに殺されてるだろうな、俺は。」

 あっさりと、そう返す政宗に、猿飛は困ったように曖昧に笑った。
 正しくその通りで、確かに昨夜実際に一瞬その思いがよぎらなかったわけではない。
 それにもかかわらず、俺はこの殿様に何を言っているのか。
「や、俺が言いたいのは。」
「I see。お前が臨時雇いの派遣忍だからあんまり隙見せるな、ってことだろ。」
「派遣忍って何?」
「気にするな、ものの例えだ。」
 にやりと笑ってみせる。
 誤魔化すのではなく、疑問や反論を捻じ伏せるという感じだ。
 へらりと笑って、猿飛は白い首筋から手を離した。
 このまま力を加えれば、簡単に息の根を止められる。
 誘惑めいたそれを恐れてのことなどではない。
 ただ、指から伝わる政宗の脈動が、猿飛をひどく落ち着かない気分にさせた。








 もしも、刺客だったら。
 考えていないわけではない。
 だが、疑えばすべてを疑うしかないこの世界で。
「お前は伊達の者じゃないから。」
 始めから、それがはっきりしているお前といるのは楽だ。





ここは仮宿















一言。
幸村登場。
このままだと忍に持ってかれる!!
サナダテと三回呟くとそう思えてきます。