イタイイタイ。
頭ガイタイ。





 目が覚めて、そこが見慣れた自分のベッドではなく、城の居室であることにもようやく慣れ始めた。
 それでも、諦念に失望めいた気持ちが混じるのは仕方がないだろう。
 寝て覚めればもとの世界に戻っているのではないかと。
 
 期待をとめる事はできないのだ。






 低血圧のため、朝は苦手だ。
 それでも気づけば同じ時刻に目が覚める。
 綿の布団から起き、手早く身支度を済ませて、寝所を後にする。
 きらびやかな装飾の襖を開け、控えの間を抜けて廊下に出る。
 色づき始めた木々の葉に、そういえばもう季節は秋だと実感した。
 縁側に座り、用意されていた煙草盆から、愛用の煙管を取り上げ、朝の一服を味わう。
 元々嗜む程度だった煙草の量が最近増えてきた気がする。
 ふう、と煙を空へ吐き出す。
 そよぐ風に目を閉じると、少しずつではあるが付きまとう痛みが薄れていく。

 
 今日は何をするんだったか。
 

 確か、朝にはさしたる予定は入っておらず、成実と錬兵場に顔を出す約束をしていた気がする。
 あの体力とノリにはたまについていけないが、思うまま身体を動かして、何も考えずにいることができるあの時間が嫌いではなかった。
 慣れなかった真剣の重みも、最近では馴染み始めた。
 それが喜ぶべきかどうかはわからぬことだが。
 強くなれば、その分生き延びることができるのだろう。
 逆に、強くなければいつ死んでもおかしくはない。
 
 殺伐とした世の中だ。
 
 死が傍らにある、そのことが日常であり。
 つまり、死を忘れることなかれ、だ。
 庭木の松の上で、鴉が鳴いた。
「朝から不吉な鳥だな。」 
 それでも笑うのは、自分の意地だ。
 





















「政宗様、こちらにいらっしゃいましたか。」
「小十郎・・・。何かあったのか。」
 兵たちに混じり、成実と木刀を交えていた政宗は、錬兵場に現われた小十郎の姿に手をとめた。
 周囲の兵たちもそれに倣うように手にしていた得物をさげる。
 普段、彼は政宗にかわり、奥州伊達の政務を鬼庭と担当している。
 その彼がここに来るのは、政宗がこちらに現われてから一度もなかったではないだろうか。
 成実は不思議そうな顔をし、やがて合点がいったというのに頷いた。
「行こうぜ、梵。」
「あ?」
 梵というな、と言いかけるが、それより先に伸びてきた成実の手に腕をつかまれ、引っ張られる。
 加減しているのはわかったが、強い力に引かれて、政宗は小十郎と成実の後に続く。
「おい、成実。」
「何?」
「何?じゃねーだろ、腕離せ。」
「あ。悪ぃ。つい。」
 どうやら本人も無意識の動作だったらしい。
 拍子抜けするほどあっさりと、成実は掴んでいた政宗の腕を放した。
 開放され、「バカ力」と悪態をつくと、成実が大仰に眉をしかめ、お前にはいわれたくないという顔をする。
「お二人とも。」
 呆れたというような小十郎の声に、二人は大人しくなる。
 怒らせると家中で一番恐ろしいのがこの男だ。
 三人が足を止めたのは、政宗の居室に対面する中庭だった。
 城主の寝室の前ならば人が滅多に来ないと言うことだろう。人払いをする必要がない。
「あの件だろ、決まったのか。」
「ええ。」
「何のことだ?」
 成実はあらかじめ知っていたらしい。
 そのことにいちいち気を悪くする気もないし、むしろ当たり前のことだと思う。
 自分は奥州筆頭伊達政宗ではないのだから。
「・・・・・・・・新たに警護の者を増やすことに致しました。」
「そういうこと。」
「A・・・・?」
 いらねーよ、と口にしかけ、それを止めた。
 これは決定事項なのだろう。
 ならば自分が何を言っても仕方がないことだ。
 何かを言いかけてそれを途中で止めた政宗に怪訝な顔をするが、それを問うことなく小十郎は先を続けた。
「では、鳶加藤」
「はいはい、と。」
 軽い調子の声が降って来る。
 見上げると、松の木の上に蹲る人影があった。
 三人の前で、それはふっと姿を消し、かわりに一人の男が地面に降り立つ。
 体重をまったく感じさせない動き。ふわりと舞う茶色の髪まで。

「忍び、参りました、と。」

「忍び・・・・・・・・・・・・忍者。」
 脳裏をいろいろなものが駆けていく。
 煙と共に消えたり、竜巻を起こしたり、狐にとりつかれていたりするのだろうか。
「政宗様・・・?」
「ああ、何でもない。・・・・・・・・・つまりこいつが護衛ってことか。」
「よろしく。」
 へらりと笑う男は、強そうにも頭が切れるようにもついでに真面目そうにも見えず、本当にこいつは大丈夫なのかと思ったが、考えてみれば元から自分の身は自分で守るつもりでいる。
 忍びと言うのであれば、忍んでいるのだろうから鬱陶しくはないだろう。
「政宗様の御身をお守りするよう命じてあります。腕のほうは確かでございます。」
「I SEE。まあ何でもいいけどな。あんた、名前は鳶加藤でいいのか。」
 先ほど小十郎が呼んでいた名を口にすると、忍びは本当に少しだけ驚いたような顔をした後、大仰に肩をすくめて、またへらりと笑った。
「ま、何とでも好きに呼んでください。忍びには、名前なんてあまり意味がないし。」

「じゃあ猿。」

「へ?」
「何でもいいんだろう、お前鳶って言うより猿みたいだし。」
 呼びやすいと言うこともあるが、髪も茶色で、忍び装束なのだろう、彼の纏う服も同系の枯葉色だ。
だから猿だといってやると、忍びは眉をハの字にし、その情けない表情で新しい雇い主に弱弱しく抗議する。
「ちょっーーーと、ヒドクない・・・?」
「男に二言はねーよな。・・・・・・・・・まあ気が向いたらさっきの名前で呼んでやるよ。」
 You see?と笑うと忍びは異国の言葉はわかりませんと言いながら、諦めたように溜息をはいた。
「はいはい、お仕事だからね。」
「よし。小十郎、話はそれだけか?」
「はい。お手間をとらして申し訳ありません。」
「別に手間じゃねーよ、これ位。」
 そういって口角をあげ、するりと身を翻し、部屋に戻っていく。
 その政宗の後を、当然の如く、忍がついていく。
 
 紺色の袴姿に包まれた背を見送り、彼らが十分離れると、成実がぽつりと呟いた。
「梵の奴、気に入ったみたいだな。」
「そのようですね。」
 あっさりと小十郎に肯定され、やっぱりな、と一人ごちる。
 何となくではあるが、それを面白くないと感じる自分に気づき、成実は舌打ちしたい気分だ。
 その気配が伝わったのだろう、小十郎が微苦笑を浮かべて成実を見た。
 誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに問いかける。
「信頼できるのか、あいつ。」
「腕のほうはたつようですね。ビジネスライクな態度でプロ意識もうかがえます。」
 仕事である限り、伊達に雇われている限りにおいては、政宗を守るだろう。
 信じる必要はない。信頼なども必要ない。
 道具として役に立つこと、それだけだ。
無論、他国の息がかかったものでないかは調べてある。
「少なくとも芦名や北条、最上の手はかかっておりません。万一不審な動きがあれば、」
 
 切り捨てればいいだけのこと。
 所詮は主を持たぬ流れの忍び。

「・・・・・・・・・・・なら、いいけどさ。」
 あれが政宗を害する者なら、俺が斬る。
 本当は、新たな護衛の忍びなど必要ないと言いたかったのだ。
 だが、現実には自分たちには駒が足りない。
 家中の者とて完全に信頼できないのだ。
 奥州筆頭に躍り出たとはいえ、反抗勢力が皆無なわけではなく、特に芦名や最上には警戒を怠ることはできない。
 いかに才があろうとも、政宗はまだ若い。伊達の支配は磐石ではないのだ。
 加えて当の伊達政宗はこの状態だ。
 黒川城方面の動きも気になる。
 そこには、政宗の母と弟がいる。
 最上御前と呼ばれる、最上家の人間。
 何よりも、警戒すべき、政宗の敵。
 彼自身がそう見なすことが出来なくても、少なくとも成実と小十郎にとっては。
「あいつらに奥州は渡さない・・・・・・・・・・・・・。」
 伊達政宗を殺させたりはしない。

「それにしても、あんな笑い方まで同じなのな・・・・・・・・・・・・・・・。」
 去り際に見せた、表情は本当に瓜二つで。
 わけもなく心臓が騒いだ。














 廊下にあがり、部屋の入ろうとして、政宗はふと振り返った。
 小十郎と成実は松の木下で何やら話しこんでいる。
 視線をあげると、それが今朝、目にとまった松だと気がつく。
「おい、猿。」
「はいはい、何ですか。」
「お前、鴉とか持ってないか?」
 朝、あの木の上、ちょうどこの忍びがいた所に一羽の鴉がいた。
「鴉・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・いや、悪ぃ。気にするな。」
 我ながらおかしなことをきいたと思う。
 これは、ただの偶然だろう。
 決まり悪げな表情を浮かべる政宗に、忍はへらりとまたあの軽薄な笑いを浮かべた。























「ああ、焦った焦った。」
 本当にそう思っているのかわからないような、のんびりとした調子で、忍は呟いた。
真夜中の城の屋根の上。
 周囲には何者の気配もなく、時折ネズミが走る音だけが遠くから聞こえるばかりだ。
「微妙に心臓に悪いことばかりいうんだもんねぇ。あの殿様。」
 昼間、正面から相対した、まだ若い城主を脳裏に描いた。
 所作にしろ、眼差しにしろ、落ち着いたもので、特にその目と、勘の鋭さにあの短い邂逅の中で何度も肝を冷やした。
 隻眼にもかかわらず、おそろしいほどの、それ。
 それともあの眼帯の下の目は現ではなく、別の何かをうつしているのだろうか。
 そのくせ、自分の忍びの勘は酷くアンバランスな、何かを嗅ぎ付け、正直面白いと思ったが。
「お仕事、お仕事・・・・・。」
 そう呟いて、猿と呼ばれることになった忍びは手にしていた小さな紙片を梟の足に括りつけ、宙に放つ。
 城から飛び立った夜の翼は空を舞い、やがて彼の主のもとに届くだろう。
「とりあえず、潜入成功。」




 忍びに名前は必要ない。
 それは真だし、本心である。
 だが、主に呼ばれるために、名は必要だ。
 その名は。





猿飛佐助






















一言。
忍びでた!!!忍び出た!!!
もうこれは本当に心の底から鱶屋の自己満足の産物以外の何者でもなく、心置きなく趣味に走ってます。
猿、猿いいながら夜中まで打ってました。
サナダテと言いながら伊達三傑、猿飛に先こされてます。
うっかり佐助伊達に走りそうになって停止。

ところで、王紋で、あの召使兼護衛兼潜入員はまだ正体ばれていませんか?
鱶屋の記憶では、誰にも怪しまれず、連載○十年間忍び続けているある意味佐助以上の忍っぷりだったのですが。
ていうか気づけよ、お前ら。と何度思ったことか・・・。