どうして。
 ここに彼がいるのだろうか。

 いや。
 どうして立ち尽くすその姿でどうして己はそれと知るのか。











ただ呆然と、夕闇の中に立ち尽くす。
「どうして・・・?」
また、ここに。
 この世界に、来てしまった。
 じくりじくりと肩が疼いた。
 傷は完治し、傷跡さえ残されていない筈だが、時折痺れるそれを消すことは最先端の医療をもってしても不可能であった。
 鳶色の瞳に写るのは、赤と黒。


 その鮮烈さが怖ろしい。


 ぞくりと震えるのは、寒さばかりにではない。
 赤。
 赤。
 連想されるのは戦場に数多流れた血のそれではなく。
 それよりもなお峻烈な。
 あの、二つの槍を腕の如く操る、紅い、男。


「真田、幸村・・・・・・・・・・・・。」


さくり、と。
背後で、草を踏みしめる音がした。
 警戒するような、自然ではなく何かを押し殺したような気配に、ぼんやりと振り返れば。
「殿様・・??」
 普段ならば余裕と、若干の甘いような優しいような声が、掠れて。 





 忍烏が一羽。
 らしくないほどに呆然と、立っていた。













 常に人を食ったような飄々とした笑みを浮かべていた顔には純粋な驚きがあり、こんな時でも、そのことが政宗に驚きを与えた。
 この男はいつだって笑っていると思っていた。
 茶色の髪に、忍び装束で、呆然と立ち竦む姿が酷く異彩で。

「お前のそんな顔、初めてみた。」
「・・・・・・・・・・・俺、いつもどんな顔してるわけ?」
「笑ってるだろ。」

 いつだって。
 むかつくほどに。

「ひどいなー・・・・・・。」
 へらりと、あの見慣れてしまったとさえ感じる軽薄な笑みを浮かべ、忍は一歩だけ距離を縮めた。
 警戒するような、何かを測りかねるような、そんな様に。
 微かな苛立ちを感じたのは政宗だった。
 ずかずかと近づいて、がしっと、胸倉を掴み、突然の行動に目を白黒させる忍に詰め寄った。

「お前、何でここにいる?ていうかココは何処だ?奥州か?あれからどうなった?」
「ちょっとちょっと・・・、待って、落ち着いて。」
 ね?
 と、宥めるように、手を逆に掴まれた。
ひやりといた手甲の感触に政宗はゆっくりと力を抜いた。
 感情の波の高低が激しくて、自分でも自分が制御できなかった。
 元々心を御することが得手ではないのだ。

「・・・・・・・・・・・・・。」
「ここは、少し不味いから。ね、こっち。」
 すっと、糸が切れたように大人しくなった政宗の手を引き、忍は木々の間を擦り抜けていく。不思議なほどに、現の気配を感じさせない。

 ぼんやりと引かれるままに、深まる闇路を滑るように進んでいく。
 冷たい手が、強くなく、それでも抗うことを許さない力で導いていく。
 闇に溶けた周囲の光景が、夢をみているだけではないかとさえ、思えるほどに遠のいたとき、忍は足を止めた。
 小さな火の灯る、粗末な小屋。
 忍はどうやってか、その立て付けの悪い扉をほとんど音もたてずに開き、中に入っていく。
 その後姿をぼんやりと見つめていると、中からのびてきた手が再び彼を誘った。










「殿様。」
「・・・・・・・・・・・・Thank you。」
 はい、と渡されたのは縁が欠けた茶碗で。
 器用に火をおこした忍は、湯を沸かし、何やら薬のようなものを入れて、茶らしきものを淹れてくれた。
 火を使っていいのかとか、何だか苦そうだとか思いはしたが、口には出さずにいた。
 身体がわけもわからぬほど、震えていて、温かいものが単純に有難かった。
「寒かったでしょう。手、冷たかったし。大体、雪の中、そんな薄着でいるなんて何考えてるの。」
 苦笑交じりに、それでも小言めいたことを忍の言葉に、政宗は首を傾げた。
 
こいつは、こんな奴だったか。
 
 と思う同時に、男の言葉が引っかかる。
 雪の、中。
「雪、降っていたか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あんた、大丈夫?」

 珍獣でも見るような眼で見られ、不愉快になる。

「雪、つもってたでしょうが。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


 そうだったろうか。


「ちょっと、まじで大丈夫?」
「・・・・赤が。」

 あの、夕陽の赤に。
 動くこともできず、思考さえも支配され。

 かたかたと震える体は、寒さのせいばかりではなく。
 それまでどこか余裕めいたものを漂わせていた忍は(実際はわからないが少なくとも旗から見ればそう見えた)、その顔色の悪さに、腰を浮かせ
「殿様??」
「ここ・・・どこだ?あれから、どれだけたった?・・・・・・・あいつらはどうなった?」
「殿様、ちょっと落ち着いて。」
「何で、俺はここにいるんだ!!??」


 叫びが、どうしようもく迸るのは。


「殿様。」
 間近の忍の顔の、両の眼が湛える闇。
 両腕を掴む冷たさ。





「お前が何でここにいる・・!!!」





 ここは俺の世界ではない。











「落ち着いた?」
「おう。」
 ぐったりと、ようやっと力の抜けた身体を閉じ込めた腕をそっと解く。
 崩れ落ちそうな様子に不安を押し隠せないが、それは杞憂だった。
 支えようとする腕を押し戻し、政宗は顔をあげた。

「猿。」
「何?」
 へらりと、常の笑顔が戻った顔を隻眼で見据え、再度同じ問いを口にする。
「ここは、どこだ。」


「・・・・・・・・・殿様、いい?よくきいてね。・・・・・・・・あれから、二月ほどたっている。奥州では独眼龍は傷と病の療養中ということで誤魔化しているみたいだ。」

 それもいつまで続くか。
 ただえさえ、身内に火種を抱える身。不在を隠し通すことなど、不可能であろう。
 伊達三傑の存在がなければ、最上あたりに乗っ取られているだろうに。
 頭の中に溢れる情報を、勿論口にすることはない。

「真田幸村は、」
 その名を耳にした若き龍の肩がゆれる。
「甲斐に戻り、上杉との戦に参戦した。ただ、戦は終わっている。今は冬で、この季節にここらで軍を動かす馬鹿はいない。」
 今は、いわば自然休戦の時期だ。
 
 長い前置き。
 それでも欲していた情報を与えられ、政宗は静かに聞いていた。
 雪の中の行軍が無理であれば、旅さえも無理だろうか。
 奥州に戻らなければ。
「ここは、」
「ここは信州だよ。」
「信州の、どの辺りだ。」


 嫌な予感がする。
 自分は、ココに来る前に、何処にいた。
 現代。
 自分の世界で。
 爺と、元親と。


「上田。真田領だ。」
「・・・・・・・・・・・。」





 何の、運命だとでもいうのか。
 悪夢に他ならぬ、これは。





「殿様。いい?真田幸村は、あんたのこと、草の者を使ってずっと探させていた。鬼気迫る勢いでね。」
「・・・・・・・・・・・死体でも確認しなければ落ちつかないってことか。」
「さあね。」
 むしろ、死体など見つけようものならば、どうなっただろうか。
「俺は忍で、よくわからないけどね、あの旦那はあんたのこと、殺すつもりはないみたい。」
「じゃあ、なんだってんだ、あいつは!!!」


 真田の旦那はあんたに惚れている。
 
 言葉にすれば簡単だろうが、それを告げるわけにはいかない。 
 猿飛佐助は知っているが、理解できない。
 そして、政宗の忍として偽りの面を被っている今、すべてを知らぬと言い続けなければならない。
 何も辛いことなどなく、容易いことだ。


「・・・・・・・・・・・・・・わからないよ。」


 俺は忍だから。
 
 
 渇いた心が否応もなく自覚させられ、焦げ付くような何かが身のうちを仄かに走った。


「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」


「とにかく、ここから動かないで。何とか奥州に「お前は」
 空気を換えたくて、ことさら平坦な調子で続ける佐助を、政宗の声が遮った。

「何で、ここにいるんだ。」

 
 それは想定内の質問だ。
 もちろん答えもいくらでも用意してあった。
 あらゆる状況に備え、自分は対応できる。
 嘘をつくことも。
 何もかも、偽ることも出来る。



「俺は」



 どうすれば、一番、彼は騙される。


「あんたを探していた。」


 それは、嘘ではないから。
 誰にも見破ることは出来ない。
 真実、猿飛は主君の命令で彼を探していたのだから。


「何故。」
 これも想定内。


「まだ、俺は伊達と契約中だし。殿様いなかったらお給料、もらえないでしょ。」
「・・・・・・・・・・・・・お前、馬鹿だろう。」

 ふう、と溜息を吐いて。
 彼は呟く。
 これだけで信じてくれるなんて、伊達の殿様はやっぱり甘い。
 それとも、信じたい思っているせいかもしれない。
 ここは奥州ではなく、上田で。
 信じられる家臣はいなく、一人で。
 猿飛がいなければ、雪の中で狂っていたかもしれない、独眼龍。


 心の奥の暗い闇の中、何かがざわりと動いた。


「とにかく、ここにいて。いい?誰が来てもあけないでよ?様子、探ってくるから。」
 場合によっては朝になる前に、ここから離れたほうがいいから。

 もっともらしくそう言って。
 そんな自分に軽く嫌悪感を抱き。
 こくりと素直に頷く政宗に、背を向けた。














「ごめんねー。」

 本当にね。
 これでもちょっとは自己嫌悪って奴を感じているんだよ。
 闇の中で言い訳がましく呟いて。
 烏は姿を消した。















忍烏が闇夜に消え。
一人残された政宗は、そっと、政宗は立てた膝を抱えるように蹲った。
ただ寒い。
冬ならば、当然だ。
自分がいた世界は夏で。
祖父と幼馴染と、一緒にいた。
今は、一人。

忍はいつ戻ってくるだろうか。













「お頭。幸村様はすでにこちらに向かっておいでです。」
「うん。」

 佐助のとまった枝とは別のそれに、別の烏が舞い降りて告げた。
 樹上の雪さえ、揺らすことなく。
 皓皓と輝く月は、ときおり、雲間に消え。

 いい月夜だ。
 なんて、キレイな。

「幸村様の到着次第、竜を捕える。」

 すでに手の中だけど。
 うっそりと微笑む長に、烏は頭をたれ、姿を消した。







「何で、あんたはよりにもよってこんな処に現れたんだろうね。」


 本当に。
 その疑問は残るが。
 きかなければならないことはある。
 だから偽ったのだが。
 何故か疼く痛みさえも、覆い隠して。




「ここに現れられたら、見逃すことさえ出来ないよ。」
 勿論その気はないのだけれど。
 





 ここは。
 信州。
 上田。
 忍の住まう闇の里。




















 がたりと、戸が揺れた。
 うとうととまどろみかけていた政宗は、は、と顔をあげた。
 風の仕業か。
 それとも忍だろうか。
 だが、あの忍がこんな音をたてることはないだろう。


 疑惑と不安に揺れる一つ目の視界の中。
 轟音と共に音をたてて、崩れた扉。
 その向こうに。


 


「真田・・・・・・・・・幸村・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」





紅蓮の鬼。
















逃げられない





















一言。
こんなことやってるから、サスダテと言われてしまうのですよ、鱶屋さん。涙。
サナダテ再会する予定でいたのに。
誰かの「だから言ってるじゃん」という声さえ聞こえる