烏が鳴いた。









 がんがんと痛む頭を抱え、窓の外を見れば、夕日の赤がいやに目についた。
 胸を締め付けるような郷愁ではなく、急き立てられるような、焦燥と怖れがある。
 息が、出来なくなるような錯覚。
 血がざわめくような、心音が殊更耳につくような、そんな不可思議な心持ちに、政宗は小さく舌打ちした。


 これではダメだ。

 
 自分自身がこの有様では、いつまでたってもあの過保護な保護者達は外に出そうとしないだろう。ただでさえ、肩の怪我が治りきっていないということで、外に出ることはおろか、ベッドから出る事も許そうとしないというのに。
 ずきりと、動かずたびに痛む左肩には今も痛々しいばかりの白い包帯が巻かれている。
 左腕だけではなく、右腕にも。
 胸にも。
 頬にも。
 動くな、外に出るな、必要なものは全てそろえるから寝ていろと言ったいつになく厳しい顔をした祖父とその隣で珍しく神妙な顔をしていた幼馴染の姿を思い返し。

「ガキじゃねーんだから。」

 だがそれを口に出して祖父に言う事は出来なかった。
 口にしたら最後、その何倍も回る舌で捻じ伏せられた挙句に、更に頑なになるに違いないのだ。
 ただでさえ年寄りは頑固なのだ。
 それに、心配させている、という負い目もある。
 仕事の鬼だの何だのと言われるが(実際身内から見てもそういう側面もあるが)、祖父はひどく優しい。
 やや過保護すぎるといえるかもしれない。
 今はそれも無理は無いだろうと、政宗にもわかってはいる。
 両親を幼い頃になくし、政宗に残された家族は祖父だけ、祖父にとっても政宗だけだ。
 一月の間、行方不明だった孫が発見されたと思えば、左腕は折れ、肩口の獣の噛み跡と思われるそこからは真新しいばかりの血が流れ、壊れた人形のような有様で澤に倒れていたのだ。
 まるで死人のように青褪めた貌に、運び込まれた病院に駆けつけた祖父は、手術の間ずっと傍にいたと後から看護婦達が聞くまでも無く教えてくれた。 
 優しいお爺さんね、といわれた事よりも。
 忙しいはずの彼が、ずっと自分についていてくれたことのほうが気になった。
 目覚めるまで、だけではなく目覚めた後もしばらくの間、つきっきりだった。
 社長業なんてやっていて。
 自分に対してもにも他人に対してもも厳しい祖父が。
 それほどに、祖父を心配させた。


「おまけに、俺は何にも覚えてねぇときた。」


 自嘲気味に呟いて、政宗は背もたれにもたれかかった。
 ぼふっと音をたてて、やわらかな羽毛枕が包帯の巻かれた身体を受け止める。
 まるで嘘のように、ぽっかりとそこだけ、記憶が無い。
 真っ黒に塗りつぶされた額縁を見ているような感覚。
 黒々とした何かが口をあけ、覗いても見えぬ深遠があるばかりだ。
 
  思い出したい。
 思い出したくない。
 思い出せない。
 何も。
 








「よーす、政宗、起きてるか?」
「元親。」


 ノックの音ともに入ってきたのは幼馴染だった。正直ノックの意味が無いが、しないよりはマシだろうという結論に達し、政宗は何もいわない。
 のそりと長身を、少しだけ折り曲げるように入ってくるのは元親のクセだ。
 たまに頭をぶつけるらしいから、自然とそうなるのだろう。
 恵まれた体格に加え、政宗とは反対の、左目を海賊のような眼帯で覆っており、かなりの迫力があるが、へらりと笑う仕草にはどことなく愛嬌が漂う。
「土産。」
 どさりとベッドに落とされるのは愛読の雑誌と文庫本。
 ゲーム、DVD、ついでにエロ本があるのはそういうお年頃のご愛嬌だ。
「Thank you。」
「おう。つーかお前、なんでそんな小難しそうなもん、読んでるんだ?」
 元親が示したのはベッドサイドのテーブルに置かれた数冊の時代小説系の文庫本だ。
 愛読書がすべてマンガの彼にしてみれば、そんなものが何故面白いのかわからない。
 いくらが暇があっても、ついでにナイスバディな金髪美女に頼まれても絶対に読みたくない。
「爺が面白いからって。読むか?」
「俺は教科書以外の本は読まねー主義だ。」
「教科書もよんでねーだろ、お前は。」
 バーカ、と小生意気な軽口を叩く政宗の姿に元親はほんのわずかだけ、目を細めた。
よかった、と安堵する。
 このまま死んでしまうのではないかと思うほどに酷い有様だった発見時を思えば、大分元気になった。死体かと、もう手遅れかと思ったとき、比喩ではなく本当に目の前が闇に塗り替えられた。
 その時の恐怖を思えば、軽口、上等だ。
 いくらでも叩かせてやる。
「うるせーよ。つーか腹減った。」
「ケーキならそこにあるぞ。」
「何でケーキだよ。病人の見舞いっていったら果物籠だろーが。」
 文句を言いながらも、うず高く積み上げられた見舞い品の中からケーキの箱を取り出し、ナイフで適当な大きさに切り分ける。
「ほら、お前も食えよな。」
「・・・・・・・・・。」
 目の前に切り分けたケーキを1ピース。
 じっとそれと元親を見比べ、政宗は仕方なさそうにそれを受け取った。 
 目が覚めて以来食欲はなく、病院の食事も半分ほど残していた。
 だが、目の前にある自分の腕、その腕の細さと肌色の悪さを見れば食べなければならないという気になってくる。
 何よりも、これ以上、余計な心配や気遣いなどをさせたくない。
「ん・・・・・・・・・・・・・・。」
 口に含むとシフォンの控えめな甘さが、広がった。







 疲れたのか、政宗が横になったのを確認して元親は病室を出た。すぐに電源をきっていた携帯電話を取り出し、短縮に登録された番号を手早く押す。
 三度目のコールで相手は出た。
こちらの連絡を待っていたのだろう。
「爺さん、俺だ。今、病院。」
『政宗の様子ばいけんじゃった?』
「あー、まだ少し顔色悪かったけど、前よりはマシだな。」
『そうか。ごくろうさぁ。またよろしゅたのみもす。』
 短いやりとりだが、それで十分だった。
 政宗の家によく出入りしていたため、彼の祖父である義久とは面識がある。家との折り合いがあまりよくない元親がいり浸っているせいで、半分家族のような付き合いがある。今は、政宗が行方不明中にためていた仕事にもどったせいで忙しくなってしまった彼に代わり、病院に見舞いに行っては、様子を報告している。
 頼まれたわけではなく、元親が自らが勝手に行っている事だ。
 あの日の、苛立ちを、無力感を。
 思い返すたびに腸が煮えくり返る。




 病室に戻ると、政宗はまだ眠っていた。
 痩せて、鋭さが増した容貌には、隠し切れない疲労が滲んでいた。
 記憶がないと、苦悩している事は知っている。不安に揺れている事も。
 そして、祖父や、元親を含む周囲にそれを知られないように務めているのもわかってはいる。
 病人がくだらねーこと気にするなといいたいが、無駄な事も短くはない付き合いからわかっていて。
 自分も政宗も素行のいい方ではないため、中には忘れたフリをしているだけではないかと、口さがなく言う者もいたが、そんなくだらない 真似をする奴ではないことは、義久や元親といった親しい者は承知している。
 直接彼の様子を見た医師たちはその怪我の有様から、精神的なショックによって記憶を失ったのだろうと、壊れ物のように政宗を扱った。
 折れた左腕は、きれいに折れ過ぎており。
 体に残る傷跡は刃物によるもの。
 そして獣の噛み跡。
 監禁されて、拷問されたのではないか。
 そうとしか思えないほどに、その傷跡は惨たらしい。
 警察は営利目的の誘拐という事で捜査にあたっている。
 しかしながら一向に手がかりがつかめず、難航していると聞いた。
 あげく「神隠し」などという言葉までが飛び出す始末だ。
 誰が言い出したかは知らないが。
 


 だが。それはどうでもいい。






 政宗がいなくなった日。
 ただ彼部屋で待っていただけだった。
 帰ってきた政宗が、行方不明の時の記憶を失っていると知った時。
 何と声をかければいいのかわからなかった。




 何も出来なかった。
 何も言えなかった。
 情けねえ。




 だから。
 出来る事、すべてやりぁいい。
 ぐだぐだとするのも、うじうじ考え込むのも性に合わねぇ。
 次がないように。
 助けてやれる事ならなんでも。





 こいつは、生きて、今ここにいる。


















何処に居る














 轟々と燃えるのは紅蓮の焔。
 禍々しいほどに紅く、堕ちる太陽のように自らに世界を染め上げる。
 ただ焼き尽くす。
 それだけの、焔。


「真田の旦那。」


 どれほど近くにあっても、今の彼に声は届かない。
 世界があげる悲鳴さえも、今の彼には聞こえないのだ。




                  竜の旦那。



あんた、何処にいる。

















一言。
真田主従一回休みのつもりが、何故か最後に出張る。
まあ裏主役二人ですので。

ちなみに兄は祖父にかわり島津の爺様で。
うちは島伊達水晶なので隙あらばガンガン参る所存。

そしてやたらといい奴の元親さん。
うちでは元就さんに食われがちな元親さん。涙。
あいかわらず留年していて年上だから兄貴ぶってるらしい。
そんな感じで再スタート。