「旦那。」
「佐助か。」
するりとまるで影の中から現れた様に佇む忍に、虚ろな声が返され、ほんの僅かに佐助は眉を寄せた。
どこか放心したような有様の彼をただ見ているだけということが出来ず、佐助は降り立ったわけだが、幸村はただぼんやりと気を遣って横たわる龍の姿を見ているばかりだった。
傷の残る体を散々蹂躙され、投げ出すように横たわるから身体には幾多の情痕が残り痛々しさと同時に、欲望を煽るものだった。
さらされた白い肌はいっそう青白く。夜闇に浮かびあがるそれは男のものだということを抜きにしても艶やかだ。
毒のようなそれから目をそらし、夜目のきく忍は主をうかがった。
虚ろだと、忍が思ったその底には真摯な光が変わらずに宿り、そこは濁りもせずに、自らが地に堕とした龍をうつしていた。
「旦那。」
「佐助・・・。」
これが恋というならば。
「恋とは何というものだろうか。」
不可思議で恐ろしい。
激しくて脆い。
渇望する想いが、自分でも恐ろしいほどに絶え間なく湧き出でる。
相手を壊さんばかりの凶暴な力に器が満たされるようだ。
政宗殿はけして俺を許さないだろう。
それがわかっていても、なお。
浅ましくも受け入れて欲しいと願う心がある。
いや、例え拒まれたとしても。
この腕にさえあれば。
「政宗殿」
そっと、眠る龍の浮き出た肩骨に口付けを落とした。
目を覚ましたのは夕闇の中だった。
それを当初、朝だと思い、その誤りを正したのは烏の鳴き声だった。
身体は清められ、左腕にも新たな包帯が巻かれていた。
差し込む朱い色に誘われるように身体を起こす。
身体は重く、鉛につながれているようで、起き上がろうとすればあらぬ箇所が痛みを訴え、政宗はしばらく足掻いた後、どうにか起き上がることに成功した。
身体が悲鳴をあげているようだと、回らぬ頭で考えた。
痛みが宿らぬ場所がないほどに、すべてが苦痛を訴える。
それでも這うように床を移動し、壁を支えに立ち上がった。
動かぬ左腕。
支えがなければ立ち上がれない身体。
それでも刷り込まれたように、逃げなければという思いに突き動かされる。
ここから、離れなければ。
『政宗殿』
耳の奥で木霊するのは、荒い息遣いと皮膚を焼き焦がさんばかりの熱に満ちた男の声だ。
いいようのない、感覚に身体が震える。
渦に引き込まれていくような、奈落に落とされるような。
ずるずると壁にもたれかかるように、身体が崩れ落ちた。
限界だった。
「Shit!」
吐き捨てるように呟き、木の床に拳を叩きつけた。
それを恐怖などと、認められるわけがなかった。
「旦那。」
砦内の簡素な城壁にもたれかかり、瞳を閉じていた幸村は佐助の呼びかけに、ゆっくりとその目を開いた。
黙っていれば、その目を閉じていれば静かで、穏やかとも言える男だ。
だが。
「旦那、そう怖い顔しなさんな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・政宗殿は・・。」
低く掠れた声に宿る悔恨、それでも拭えぬ熱に、闇に生きる忍はひっそりと溜息をついた。
さすがに無体をしたと悔いているのだろう。
見ていた佐助も、少々やり過ぎだろうと思ったほどの、激しさだった。
あの矜持の誇り高い独眼龍が、泣き喚くほどに。
張りのある彼の声が、泣き、擦れた様は、とうに麻痺した心がわずかばかり、痛んだ。
それでもとめられないし、それが自分でもわかっているのだろう。
「手当てはしたよ。でも旦那、やりすぎ。」
相手は男で、しかも手負いだ。
がむしゃらに扱うばかりでは、遠からず相手を壊してしまう。
それが望みであるならば、佐助は止めはしない。
だが、違うんだろう、と。
主は「恋」だといった。
それならば、壊したのではないだろうに。
「あのね、男と女は違うの。男はもっと頑丈で、固くて、でも地に叩きつけたら粉々に砕けちゃうの。」
わかる?
といっても、わかるはずはないだろうな、と佐助は嘆息する。
そもそも女の軟らかさも知らぬまま、あの龍を抱いたのだろう。
あの玻璃で出来たような一つ目の龍を。
「佐助、俺は・・・」
「うん。」
「もっと優しいものだと思っていたんだ。」
「うん。」
「優しくて、幸せで、相手を大切したくて、そんなものだと思っていたんだ。」
「うん。」
「なのに。」
苦しくて苦しくて仕方がないのだ。
「苦しいんだ?」
「ああ。」
「優しく出来ないの?」
「どうすればいいのかわからぬ。」
「大切にしたい?」
「したい。なのに。」
「傷つけてしまうんだ?」
逢いたい。
傍にいて優しくしたい。
大切にしたい。
それなのに。
どうすればいいのかわからないのだと、呟く彼にかける言葉を佐助は持たない。
そもそも自分とて恋などというものがよくわからないのだ。
「ね、真田の」「大変です!!!!」
しばらく逡巡した後、声をかけようとしたそれを遮るように、砦の伝令兵が駆け込んできた。いつになく慌しい様子に、不穏な空気を読み取り、二人は武器を手に立ち上がる。
「敵襲です!!」
その姿に、何故か安堵と頼もしさを感じ、兵は伝えた。
「どこのものだ?」
すっと、それまでの憂いがはがれおちたかのように、幸村の表情が変わった。
苦悩の跡すら何も残さずに、そこには紅蓮の鬼の面が表れる。
穏やかさではない静けさを湛えたそれに、伝令の兵は荒い息と共に告げる。
「わかりませぬ、ただ黒の鎧具足をまとって、かなりの数であることしか・・。」
その言葉に、よぎるのは、数日前に奥州国境に表れた、謎の一団のことだ。
旗印も掲げずに、ただ国境の砦に襲い掛かった不明の、兵士達。
確証はないが、もしそれが真ならば。
「砦の兵だけじゃ、ちょっと役者不足だね。」
肩をすくめ、忍が主を見る。
もとより、幸村は誰が相手でも戦場に立つつもりであった。佐助もそれを承知の上での行動だ。
「行くぞ、佐助。」
「はいはい。」
軽い調子でこたえ、忍は額宛を僅かに下げた。
真夜中のことだった。
いつの間にか寝入ったらしい。
蹲るような姿勢でいた政宗は顔を上げ、自分を起こしたものが何であるかといぶかしんだ。
だが、それは探るまでもなく、砦内の騒がしさに政宗は身を起こし、聞き耳を立てる。
この空気には、覚えがあった。
殺気がこめられた、ぎりぎりの緊張感。
この空気を、自分はもう知っている。
一度味わえばもう忘れることなど出来ない。
「敵襲か・・・・・・・。」
ゾクリと、初陣を思い出し、身体に震えが走った。
また戦いだ。
血と鉄と火薬の匂い、命を奪われた者の断末魔の叫び。
苦悶の表情。何もない表情。目だけが爛々と見開き、獣のような叫びをあげる兵。
あとに残るのは黒い血溜まりと、腐り行く躯の山。
朝闇の中の荒涼とした景色が蘇る。
それがまた繰り返されるのだ。
いや、繰り返されているのだ。
ぐっと拳が白くなるほど握り締め、政宗は立ち上がった。
いずれにせよ、これは最後のチャンスかもしれない。
身体は相変わらず痛みを訴え続けいるが、ここにいたらいずれは殺される。
逃げられないかもしれない、途中で戦に巻き込まれるかもしれないと、湧き上がる不安を抑え、足を踏み出した。
砦内は想像通り、敵の強襲部隊に闇討ちをかけられ、誰もが目の前にある敵に向かおうと武器を手に駆けていた。政宗は、小屋近くにあった太刀と荷物を拝借し、砦の裏手から飛び出す。途中砦を攻める兵を数人、殴り捨て、森の暗中に飛び込んだ。
砦内の誰も、その政宗の姿を見咎めるものはなかった。
ただ一羽、梢にとまる大梟を除いては。
森の中をゆっくりと彷徨うように、政宗は歩いた。
細い月明かりがばかりが今は頼りである。もしもこれが新月の晩であったならば、今よりもなお何もみえなかっただろう。
夜の冷気に体温を奪われ。
時折、遠く近く聞こえる獣の遠吠えに、身を強張らせる。
夜の最中の、何も知らぬ森に入る事。
それがどれほど危険な事か、わかっているつもりだった。
だが。
「!!」
足元の石がぐらりと傾き、がらころと斜面を落ちていく。
咄嗟に捕まった木の幹にもたれかかり、政宗は荒い呼吸を繰り返した。
ほんのわずか先が、闇なのだ。
一歩踏み出せば、崖下に落ちるかもしれない。
早計過ぎたかもしれないと考え、だがその弱気を打ち払う。
いずれにせよ、同じ事だ。
手のひらに伝わる樹皮の冷たさと命の感触に、ようやく呼吸を落ち着け、最後に一度大きく息を吐いた。
先は見えない。
どこに行けばいいのかわからない。
だが。
再び、彷徨うように、森の中を再び分け入る。
近くで、獣の鳴き声がした。
思いがけないほど、近くで。
「!!!」
知らぬ間に、囲まれている。
獲物を見定めた獣の瞳がいくつも、夜闇の中で輝いていた。
「SHIT!!!」
狼、か。
しかも、群れだ。
日本狼は絶滅したはずだろうと吐き捨てながら、政宗はじりじりと後退した。
左腕はつかえなく、足場は不確かだ。
身体はボロボロで、夜目がきかず、手にしているのは鈍らの刀一振り。
笑えるほどに絶望的な有様だ。
「だが、こんなとこで狼の餌なんぞになってたまるかよ・・・」
独眼龍、などと呼ばれてしまったこの身で、そんなもの、格好がつかないではないか。
ぎゅっと、刀の柄を握り締めた。
「ぐるる・・・」
一段と低くなる唸り。
何頭かが体躯を低く沈める。
来る、と。
身構える政宗に、獣たちが牙を剥き、飛び掛った。
その切っ先が獣を切り裂く前に、獣の爪が政宗に届く前に。
「ぎゃうん!!」
宙で、獣の痩身が跳ねた。
それがどさりと、地に伏すまでの一つ一つが、はっきりと隻眼に写り、目を見開く。
音をたてて、投げ出された狼の腹には黒い、苦無が深々とつきたてられていた。
狼が、一斉に振り返る先に。
鬼がいた。
赤い具足を身に纏う、鬼。
「真田・・・・・・・。」
奈落に燃える鬼火のような目だ。
ああ、でもこの男は、鬼だ。
正しく、鬼なのだ。
朱色の二槍を構え、唸りをあげて威嚇をする獣たちを静かに一瞥した。
それを無造作に一閃させれば火花が散る。
唸りながらも怯えたように後ずさる獣を、もはや鬼は見ていない。
「どこにいかれるおつもりです、政宗殿。」
身体が震えるのは、怖ろしいからだ。
怖れるなと、己を叱咤する。
その時点で、もはや自分の中にあるものが恐怖だということは明白なのに。
吐く息が、氷にかわるような、冷気がそこにあった。
この男は焔を従える鬼、にもかかわらず。
凍りついた空気は、獣の唸りと跳躍により、壊された。
弾かれたように、政宗が走り、それを追おうとする幸村に、狼が襲い掛かり。
黒と赤が舞う、その光景を。
政宗は振り返ることなく走り出した。
どこでもいい。
此処から逃げなければ取り返しがつかないことになる。
足を、腕を切る枝葉をかきわけ、岩に身体をぶつけ。
必死に茂みをかきわけ。
少しでも、少しでも明るい方へと。
そして。
足を、止めた。
木々の切れ目の先にあったのは、崖。
下を覗き込めば、湖面があった。
飛び込んで、泳ぐか。それとも、引き返して別の路を探るか。
森を振り返る。
黒々とした闇が口を開き、すべてを飲み込むようにそこに広がっていた。
この暗闇に、あの鬼と獣がいるこの闇に、戻りたくない。
ならば、と決意を固めた政宗の正面で、がさりと茂みが揺れた。
「!!」
のそりと現われたそれは、怖れていた鬼ではなく。
だがしかしただの獣でもなかった。
子牛ほどはあろうかという巨躯、剥き出しの鋭い牙。
先ほどまでの獣たちは様相を異にする、獣。
赤い瞳が獲物の姿をうつし、ぎらぎらと血塗られた刀身を思わす光を浮かべていた。
「!!」
「独眼龍の旦那!」
「政宗殿!!」
すべてが一瞬。
星の瞬きよりも、なお。
わずかな。
その巨躯からは想像もつかない身のこなしで、飛び掛る獣に。
政宗は手にあった刀を突き刺し。
影に潜む事さえ忘れ佐助は手にした苦無を放ち。
彼を追いかけてきた幸村は、咄嗟に朱槍を投げ。
獣は。
それをすべてうけて尚、その顎に獲物を捕らえた。
耳を覆うばかりの雄叫びとともに、絶叫が、政宗の口から放たれた。
庇うようにしていた左肩に獣の牙が食い込み。
そのまま、闇におちた。
「まさむねどのぉおお!!」
湖の冷たさと、追いすがる叫びと、朝を告げる烏の声だけが。
最後にとらえたすべてだった。
呆然と、その一部始終を見ていた。
「政宗殿!!!」
獣と、想い人が、落ちるさまを、ただ見ているしかなかった。
投げた槍は間違いなく、獣の身体を貫いた筈だ。
それなのに、守れなかった。
一つだけ手元にあった槍を大地にたたきつけ、絶叫した。
口惜しい。
許せない。
何故、自分は。
強張りをといた佐助は、そっと、幸村の肩を叩いた。
「旦那、真田の旦那。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「探すんでしょ、独眼龍を。諦めないでしょ、まだ。」
「・・・・・・!!ああ!!」
がっと、伏せていた顔をあげ、まるでそこにすべての仇があるかのよごく、挑むように僅かに白み始めた空を睨む。
「けして、諦めぬ。」
新たな朝が来ようとも。
陽が巡ろうとも。
「けして。」
ばさりと、烏が羽ばたいた。
明け始めた空へ漆黒の羽根を広げる。
烏の羽ばたきが聞こえた。
目を開くと、白い天井が見えた。
見慣れぬそれに、それでも既視感を覚えて、ここがどこだか、とにかく起き上がろうと身体に力をいれた。
だが。
「っつ!!!!」
鋭い痛みに、思わず悲鳴を上げた。
全身が、特に左肩が痛い。
「「「政宗!!」」」
寝台から上がった声に、彼の目覚めに気づいた部屋にいたものすべてが駆けつけた。
「大丈夫か?」
「まだ起き上がるな!!」
「心配したんだぞ!」
口々に叫ばれ。
赤い目で睨まれ。
涙の跡が残る頬を押し付けられ。
「な・・・何が・・・・・・・」
「お前、一ヶ月もどこにいやがったんだよ!!」
涙混じりに問われた言葉に、政宗は隻眼を見開いた。
一ヶ月?
「一ヶ月・・・・・?」
「お前・・・・・・・・・・・・。」
「覚えていないのか?」
「一ヶ月も、いなかったのか?」
「ああ・・・・・・・・。」
どこにいたのか。
自分は、どこにいた。
どこにいた。
「覚えていない。」
外で、烏が鳴いた。
喪失がばかり残るすべて
一言。
おそらく一言も二言も言いたいことは皆様おありの事とは思いますが。
それらはそっと胸に秘め、感想だけ送ってください。つっこみもOKです。
とりあえず、その1(←だったのかよ)終了、その2へGO。
お待ちいただいていた方々にはとりあえず申し訳ないと。
いるかどうかわかりませんがエロを期待された方にも。
何より、励ましのメールを下さった方々、ありがとうございます。
恩を仇で返している気がして不安です。
途中から宗さまがオトメ化しきちんとヒロインらしくなりました。安心。ヒーロー兼任なんで頑張って欲しいです。頑張れ。
次からはいろいろな人がでてくる、ハズ・・・・。
そもそも鱶屋が南の人々を出さないなんてことはありえないでしょう。
でも サナダテ だから。を心の合言葉に推して参りますよ。