大都会の片隅にある、マンションの谷間にぽっかりとあいたエアポケット。
 木造の二階建ての小さなアパート。
 それが彼の世界のすべて。




お前は真夜中にいるのだ。




「よいか。人間はとかく睡眠をとらねば心身ともに異常をきたし、死に至る。かつては拷問方法の一つに「眠らせない」というものがあったほどだ。人は眠る。それは自然の摂理であり自明のことだ。」
「今、お前がいるのは真夜中だから眠ればいいのだ。夜は明けて朝になる。やがて訪れるその暁に、目覚めればよいだけのことだ。」


「・・・・・・・・・・・・朝が来るのか。」


「日輪は必ず昇る。そして沈む。人がどれほど厭おうが、また望もうが、それを妨げることなどできぬ。何人も日輪の、その輝きの前にひざまずき頭をたれるしかないのだ。」


「・・・・・・・・・・・・お前も?」


「ふ、我は日輪の申し子、毛利元就であるぞ。我は日輪とともにあり、すべては我の手の内!!!我が前にひれふせ!!!ふははははは!!!!!!!!」







「毛利の旦那もねぇ、アレさえなければいい話だったのにね・・・・・・。」
「あのクソムカつくところが元就なんだろ。つか、いい話か?甘やかしすぎてねぇか?」
「先陣きって甘やかしているのは元親殿ではござらぬか。」
「幸村の旦那、拗ねないの。」
「何だよ、お前も俺に甘やかしてほしいのか?」
「逆でござる。俺は政宗殿を甘やかしたいのに。」
「は、そりゃあ無理だろ。お前ガキだし。」
「元親の旦那、親父くさいって言われたこと実は根に持ってる?」
「べ・・・・別にそんなこと、一々、気にしてねーよ!!!」
「それにしても、政宗ちゃんは元就の旦那には割りと素直だよね。」
「あー・・・・・・・」


 チラリと、元親が視線を走らせた先にあるのはテレビ上の岩飛びペンギンのぬいぐるみ。



「あいつが一番島津の爺さんと付き合いが長かったからな。」


 前の、管理人で、大家。
 一年前に亡くなった政宗の家族。











 このアパートはご近所では評判のお化け屋敷である。
 子供達は好奇心半分怯え半分、主婦達にも評判は悪い。
 町内会からも敬遠されている。


「・・・・・・・・・・・・・。」


 買い物袋を提げて帰宅する佐助に、刺々しい井戸端会議中の主婦の視線が突き刺さる。
 ちくちくちくちくちくちく。
 結構いたたまれない気分になるのは自分が住人の中では常識人だからだろう。
 佐助は近所づきあいなど人と適当な距離をとって付き合うのは得意なので、これでもまだマシになったほうだ。
 引っ越してきた当初はもっとあからさまだった。
「ふう。」
 ご近所の反応はもっともだと思う。
 古くからの住人が元親だったり元就だったりするのだから、不信感を抱くなというほうが無理だろう。
 明らかに普通のお仕事についていなさそうな人々なのだ。警察に通報されないだけましかもしれない。
 溜息を一つはいて、佐助は荷物を持ち直し、引き戸をひいた。
 立て付けが悪い上に扉自体が重たい。
 今週末は日曜大工決定、と呟く。






 現在、二階の住人は佐助と幸村の二人だけである。
 部屋に戻ろうと階段に脚をかけ、そして佐助は凍りついた。
 
 踊り場に、白い人影。
 
 夕闇の迫る、この時刻を確か逢魔ヶ刻と古くは言われていた。
 乱れた白髪が顔面を覆い、白く長い腕が踊り場を這うように蠢き。
 不気味な笑い声と共にその腕が伸ばされた時、佐助は悲鳴を飲み込み、即座に反転し、駆け出した。
 管理人室の扉をくぐり、見慣れた八畳間で、炬燵でまどろむ政宗を見て。
 その場に崩れ落ちる。
「で・・・・出た。」
「あ?」
「ゆ・・・幽霊・・・・・・・・・・。」
「ああ?」
 何寝ぼけていやがる、と睨まれ、慌てて階段でみた白い影を説明する。
「本当に、いたんだって!!!白い髪を振り乱して、階段を這い下りてきた!!!」
「ああ、何だ、光秀のことか。」
「はい?」
 幽霊とお知り合いですか、政宗ちゃん。

「私がどうかしましたか・・・・ククククク・・・・・・・」
「ぎゃ!!!!」
 いつの間にか隣に立っていた人影に、佐助は座ったまま飛び上がるという器用な技を見せた。

「ああ、佐助は初めてだろ。こいつ光秀。二階の奥の部屋に住んでる。」
「ふふふふふふふふ・・・・・初めまして。」
 おいしそうですね、と呟かれ、先ほどとは違った戦慄が背筋を駆け抜ける。
 とりあえず、怖い。
 幽霊より、怖い。




 ・・・・・ていうかウチのアパートの幽霊譚ってこの人のせいじゃないだろうか。





「ちなみに何で、階段をはってらしたんですか?」
「座興ですよ、すべて、ね・・・・・ククククククク。」
「どうせまたコンタクトレンズ落としたんだろう。」











 猿が木からおちた、もとい、屋根から落ちた。



 住人総出(政宗除く)の雪かきの最中のことだ。
 一番身軽ということで、屋根屋根から下ろしていた佐助が、足をすべらせ、落ちたのだ。
 幸い雪がクッションの役割をして、足を軽く捻ったぐらいで済んだが。
 

 そう、大した怪我などしていないのに。


 佐助の前には、心持ち青醒めた政宗。
 落ちちゃった、とへらりと笑った佐助を問答無用で一発に殴り(さすがに酷いと思ったが)、管理人室の六畳間に寝かせ、ほとんど使われることのない救急箱(風邪が裸足で逃げるような頑丈な連中だ)を手に、手馴れた仕草で包帯を巻いてくれた。
 あまりのことに面食らっていると「絶対安静」と厳命され、その迫力に負けて圧されるまま頷いた。



 本当に大したこと、ないのだが。



 もっとひどい怪我ならいくらでもしたし、人に言えないような目にも、それこそ死にそうな目にもあったりした。
 それに比べれば、怪我のうちには入らない。
「あのね、政宗ちゃん。」
「怪我人は黙ってろ。」
「ハイ・・・・・・・・・・・・・。」
 喋りも禁止ですか。
 病人ではないのですが、と言いさして、やはりやめた。



 結局のところ、一日中、管理人室でだらだらと過ごしてしまった。家事でも手伝おうとすれば寝てろといわれ、上げ膳据え膳の果てに、夜も泊まっていけといわれ、そのまま今に至る。
 ほとんど毎日のように管理人室で過ごしているが、こうしてきちんと泊まるのは初めてで、佐助はわけもなく気恥ずかしかった。
 もちろん、酔いつぶれて朝でした、ということはあるが、布団を敷いての『お泊り』は初めてで。
 おかげで、さんざん幸村に羨ましがられた。
 
 隣で、政宗が寝ている。
 佐助は夜目もきくので、カーテンから零れる月明かりだけで、彼の顔が十分に見えた。
 元々白い肌が、夜に青ざめていて。
 時折、よせられる眉や、唇から零れる苦しげな声が。
 眠りの中にあっても苦しげに歪むあどけない貌が。
 どうしようもなく痛ましいと思う。





 今が真夜中ならば、早く彼に朝がくればいい。











政宗が押入れにこもった。



 うろうろと檻の中の熊のように室内を歩く幸村。
 我関せずとばかりに英字新聞をよむ元就。
 炬燵にもぐりこみ、ひたすら眠る光秀。
 そして政宗のかわりに台所にたつ佐助。
 元親は買出し当番ということで外に出ている。



 壁の時計が十二時を告げる。
 


「幸村の旦那、昼飯だよ。」
「・・・・・・・・・・・・・いらぬ。」
「ダメだよ、食べないと。」
 やんわりと、しかし拒絶は許さない口調でそう告げる佐助を、幸村はぎっと睨みつける。
 食欲がない。食べたくないのだ。
「食べないと、いざって時に動けないよ。」
 あんた、ただでさえ基礎代謝高いんだから。
「わかった。」
 しぶしぶと、それでも心苦しげに閉じられた襖を見つめる。
 その奥の暗闇に、一人で政宗はいる。





 何だか通夜のようなランチタイムである。
 普段がやかましいくらいにやかましいのに、誰も一言も話さず、もくもくと食事をするばかりだ。
「政宗は、寒くはないのだろうか。」
 不意にぽつりと幸村が呟いた。
 いつもより食がすすまないらしく(それでも丼飯でおかわりをしていた)、箸を置いてしまっている。
「そうだね・・・・。」
「ふむ、それはないな。」
「元就の旦那?」
 それまで黙っていた元就がはっきりと否定する。

「あの押入れは床下暖房が入れてあるし、羽根布団と枕は常備してある。それに上段部には小型プラズマテレビとプレステが設置されているから退屈もせぬ。インターネットもつなげるぞ。」
「ちなみに観葉植物としてサボテンも飾ってあります。・・・食用の、ね・・・・。くくく・・・」


 驚け愚民共。




「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」


 それ引きこもりっていうか甘やかしすぎっていうかなんで押入れ大改造してるのっていうかそれってどうかと思うけど。
 一つだけ、佐助には絶対に言わなければならないことがある。


「目が悪くなるから、暗いところでテレビを見させたらダメでしょう。」





「・・・・・・・・・・・・・・・佐助が壊れた。」
 幸村の一言に、猿飛佐助は本気で凹んだ。












 目が覚めたのは、人の気配がしたからだ。
 もともと眠りが浅く、気配に敏感だった。




 起き上がると、目の前には政宗のどてらがあった。
 隣をみると雑魚寝状態の住人たちにも、上着やら布団やらがかけられていた。
 耳が小さな扉の開閉音をとらえ、佐助はそっと皆を起こさないよう、布団を抜け出した。
 音をたてないように扉をあけると、玄関の前に、ぼんやりと立ち竦む政宗の姿があった。
 肩にカーディガンを羽織ったパジャマ姿で、じっと薄闇の中、引き戸を見ている。
 一心不乱に。
 ただ、そこにいるのは、どうしてだろうか。




「風邪引くよ。」
「そーだな。」
 気づくと、佐助は隣に立っていた。
 肩を並べるというよりも、いつ倒れても支えられるように、一歩さがって。
「昨日が命日。」
 誰の、とはあえてきかない。
 一年前の昨日まで生きてた、政宗の『爺』。
「墓参り、行きてぇけど、外出たくないし。」
 ここを離れたくないという。
 何故か、は憶測は出来ても、それが正しいかどうかわからない。
 誰も彼も互いの心を読み解くことはできないのだ。
 だから。
「じゃあ、俺がかわりに行ってくるよ。」
「?」
「代わりに行って、花を供えて、ついでに政宗ちゃんは元気ですって言ってくる。」
 
 それはダメかな。

 たずねると、何だか不思議そうな顔をした政宗がいて。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう。」
 それでも、小さな声で返答が返ってきた。




「で、風邪引くよ。」
「おう、眠いな。」
「寝ればいいじゃない。」
「もうすぐ朝だぞ。」
「まだだよ。・・・・・・・・・まだ夜だから寝ててもいいんだよ。」


 君は。
 俺も。









森の梟がいいました。
私は森の見張り役。
怖い狼、狐など、来させないからねんねしな。
ゴロスケホッホー、ゴロスケホッホー















一言。
住人の職業があかされぬまま続いてしまった。
この人たちは本当にどうやって生計たててるのか。
管理人さんは家賃滞納させてくれませぬよ。